最後に、傾向と対策・高校入試のしくみなどへのLINKがあります。
【一】
次の各文の漢字の読みがなを書け。
1 玄関に美しい梅の花を飾る。
2 陸上選手の跳躍に拍手が起こる。
3 物理学の進歩は社会の発展に貢献した。
4 少しずつ水を混ぜて紙粘土を柔らかくする。
5 宇宙飛行士が喝采を浴びながら迎えられる。
正解:
1 ●●●
2 ●●●
3 ●●●
4 ●●●
5 ●●●
【二】
次の各文のかたかなの部分に当たる漢字を楷書で書け。
1 日高原の湖が霧にツツまれる。
2 熱い思いを胸にヒめて大会へ向かう。
3 母のキョウリは夏みかんの名産地だ。
4 長距離走で前回よりも記録をチヂめる。
5 海外開学のためにリョケンの発行を申請する。
正解:
1 ●●●
2 ●●●
3 ●●●
4 ●●●
5 ●●●
【三】
次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。
小学六年生の「ぼく(あおば)」と同級生の梛は、アオナギと名付けたオオタカのヒナの巣立ちを、鳥の研究者で自然保護活動をしている葛城たちと共に見守っている。
「そうよ、あと少し。」と、梛が胸の前で手を組んだ。
そのとき、アオナギがスポットライトをあびたスターのように、ゆっくりとむきを変え、ぼくと梛のほうに顔をむけた。カーブを描いている黒いくちばしの先が、刀の切っ先のようにとがってる。白に茶色い雨だれのような縦験関様がある分厚い胸。両足を交代に持ち上げる仕草。羽毛をふくらませた体は親鳥とほとんど変わらない。すでに威厳が備わっている。アオナギはぼくたちにはじめてその全身を見せてくれた。
真ん中に黒い点がある灰色をおびた丸い目は、鋭い光を放っている。(1)そのアオナギと視線が合った、と思ったその瞬間、ぼくの心はズキュンと射抜かれた。電流が体を貫いた。
アオナギと、ぼくは心の中で叫んだ。
すると、アオナギはツイッと視線をはずした。
大きな羽ばたきが二度、三度続いたと思ったら、体がフワッと浮かんだ。アオナギは首をクイッとあげ、前を見すえた。そして決意したかのように、スイーッと木立の間を縫うように飛んでいった。気がつけば、親鳥の姿も滑えていた。オオタカは森の中を飛びやすいように、ほかのタカの仲間より羽が少し短くなっていると、いつだったかじいちゃんが教えてくれた。その羽を広げて飛びたっていった。
「巣立ったな。」と、じいちゃんの声だけが聞こえた。
あっけなかった。
本当にあっけなかった。
森の中が、静まり返ってしまった。
しばらくして、森の奥のほうから小鳥のさえずりが少しずつもどってきた。
(2)ぼくの隣で梛がつぶやいた。
「行っちゃったよ。」と、が鼻声で言う。
うんうん。うなずくだけの情けないほくは、腕で目をぬぐった。
「アオナギ、ほくたちのほう、むいたよな。」
「うん。さよならってあいさつしてくれたみたいだった。」
梛の声がゆれていた。
横にいた梛のパパが頭から手ぬぐいをはずし、しきりに顔をぬぐっている。そして、思いっきり身をかんだ。
その音が合図になったのか、集まっていたサポート隊の人たちゃ、葛城さん、そしてじいちゃんが、動きはじめた。巣のあったアカマツの木のまわりを片づけはじめた。
アカマツのまわりから電気柵が取り除かれ、幹からシートがはずされた。葛城さんは幹に手をあて「窮屈だったな、ごめんな。」と声をかけている。
監視カメラもさっさと木からおろされた。テントの中にあった荷物が外にだされ、テントがたたまれた。サポート隊の人が荷物を背負って駐車場にむかって斜面を登っていく。アカマツの根元はあっという間に最初の姿にもどっていった。葛城さんが小さなほうきでまわりをはいている。ゴミひとつも残さないようにと手でゴミをつまんでいる。
「先生、この山、だいぶ回復してきましたね。」
ほうきを片手に持ったまま葛城さんが言う。
「お、そうか?」
「はい、野生動物の数がかなりふえてきてますし、鳥もずいぶんもどってきてる感じがします。ということは、木々、草、虫もかなり回復しているということでしょう。」
「おう、そうだったな。テントに泊まったとき見せてもらったな。」
じいちゃんは、まわりを見わたし、木の幹に手をあてた。
「野生動物って?」
ゴミ拾いを手伝っていたぼくの手が止まった。葛城さんのそばに行く。
「あれ、あおばくんも見たじゃないか?テントに泊まっただろ。あのとき、タヌキ、シカ、イノシシ、カモシカ、イタチなどなど、モニターにうつったじゃないか。」
「え、そんなことあったっけ?」
ぼくはびっくりした声をあげた。
「どうして起こしてくれなかったんですか?」
ぼくは葛城さんに思いっきり文句を言った。
テントに泊まったときのことだ。ぼくはしっかりと見張るつもりだった。
目を皿のようにしてモニターにうつるすべての動物を記憶するつもりだった。寝るつもりなんてぜんぜんなかったのに、暗くなってくると目がしょぼしょほしはじめた。ランタンに灯がともるときにはもう目をあけていられなくて、もうろうとしてきた。そして、寝袋の中にもそもそと入ったとたん、朝までぐっすり寝てしまったのだ。
「え、あおばくんは起きてたよ。モニターに動物がうつる前に気がついて、ガバッと起きあがって、頭をぼりぼりかきながらモニターをじっと見てたよ。そのあと、すぐにパタンと寝袋の中にもぐりこんで寝ちゃったけどね。」
ぽくは驚いた。
「ぜんぜん覚えてない……。」
「覚えてない?あれ、変だな。あんなに熱心にモニターを見てたのに……。覚えてないのか。寝ぼけて起きたっていう感じはしなかったな。動物の気配を感じて、反応してたって、ぼくには思えたんだけど……。」
葛城さんは不思議そうにつぶやく。
「そのせいか。日曜日は眠くて、眠くて……。」
あくびばかりしていた日曜日の午後を思いだした。
「あおばくんっておもしろいな。」
(3)葛城さんが鼻の横を指でかきながらぼくを見ている。じっと見ている。そして、ふっと目をそらした。
アカマツの木のまわりから、ひとり、またひとりと人が去り、がらんとしてしまった。ぼくはからつぽになった巣を見あげた。
アオナギはもう、もどってこない。
なんだかとてもさびしい。
「もう会えないんだ……。」
しょぼくれた声でつぶやいた。
「ほらっ、しっかりしなよ。」
ぼくの肩を思いっきりたたいたのは梛だった。
「また会えるよ。山のどこかでさ。アオナギに会えなくてもその子孫にはきっと会える。だからがっかりしないの」
「うん。そうだな。」
(4)ぼくは息を吸って、大きくうなずいた。
葛城さんが大きなリュックを足元に置いて、ぼくを見ていた。葛城さんともお別れだ。
みんなここから去っていく。
葛城さんが笑顔を浮かべてぼくに話しかけた。
「あおばくん、もうすぐ夏休みだろ。どうだろう、いっしょに山に行かないか?」
突然の誘いだった。
葛城さんの声が、頭の中でガランガランと鐘が鳴るように響いた。
ぼくは目を見ひらいて葛城さんを見た。ぼくの視線を受け止めて、葛城さんはやわらかくほほ笑んでいる。
「いっしょに山へ?」
「そうだよ。忙しいかい?いやかな?三週間くらい山で生活するけど……。山頂を目指すっていう山じゃないけど、山を知る生活を送るんだ。」
(5)葛城さんが言い終わる前に、ぼくは叫んでいた。
「行きます、行きます。だれがなんと言っても、ぜったいに行きます!」
即答だった。迷いなどぜんぜんなかった。反応がおそい、と言われ続けてきたぼく。今までになかったことだ。
「じいちゃん、いいでしょ?ね、ね、いいでしょ?」
じいちゃんが笑っている。行ってもいいって笑ってる。山をよく知っているじいちゃんがうなずいている。最高だ。
「ヤッター。」
ぼくは飛びあがった。
「じゃ、詳しいことは連絡するから。」
「はい。待ってます!」
声がはずんでいた。
笑顔の葛城さんはリュックを背負い、両手に荷物をぶらさげて、道なき道を登っていく。ほくは両手をふり、飛びあがりながら葛城さんを見送った。
(にしがきょうこ「アオナギの巣立つ森では」による)
《問1》(1)そのアオナギと視線が合った、と思ったその瞬間、ぼくの心はズキュンと射抜かれた。とあるが、この表現について述べたものとして最も適切なのは、次のうちではどれか。
ア アオナギの姿におののく「ぼく」の様子と威嚇するアオナギの様子とを、対照的に描き分けることで表現している。
イ ヒナだった頃のアオナギの姿を思い出し感慨にふける「ぼく」の様子を、擬音語を用いて表現している。
ウ アオナギの巣立ちの瞬間を待ちわびている「ぼく」の様子を、アオナギの視点から客観的に表現している。
エ 全身を現したアオナギと視線を交わした途端に心揺さぶられた「ほく」の様子を、たとえを用いて表現している。
正解:●●●
《問2》(2)ぼくの隣で梛がつぶやいた。とあるが、この表現から読み取れる梛の様子として最も適切なのは、次のうちではどれか。
ア アオナギとの別れがあっけなかったので、別れをどのように受け止めているのか「ぼく」に聞いてみようと思っている様子。
イ アオナギが飛び立つ瞬間に自分たちのほうを向いたかどうかが気になって、「ぼく」に確かめようとしている様子。
ウ アオナギが巣立った後の喪失感を、巣立ちを一緒に見守った「ぼく」と分かち合おうとしている様子。
エ アオナギとの別れに感傷的になりながらも、自分よりももっと悲しんでいる「ぼく」を精一杯励まそうとしている様子。
正解:●●●
《問3》(3)葛城さんが鼻の横を指でかきながらぼくを見ている。とあるが、この表現から読み取れる葛城の様子として最も適切なのは、次のうちではどれか。
ア 「ぼく」のテントでの行動や野生動物についての発言を振り返りながら、「ぼく」への興味を深めている様子。
イ 野生動物を見られなかった不満を一方的に伝えてきた「ぼく」をなだめ、「ぼく」の気持ちに寄り添おうとしている様子。
ウ 「ぼく」が野生動物を観察していたと思っていたが事実ではなかったと分かり、どうやって励ましたらよいかと迷っている様子。
エ 野生動物を見た記憶がないという「ぼく」の話から、貴重な機会を逃して落ち込んでいないかと心配している様子。
正解:●●●
《問4》ぼくは息を吸って、大きくうなずいた。とあるが、「ぼく」が(4)「息を吸って、大きくうなずいた」わけとして最も適切なのは、次のうちではどれか。
ア 梛の言葉から、アオナギとの別れを受け入れられなかった自分を情けなく思い、郷に、心配をかけたことも申し訳なく思ったから。
イ 梛の言葉を受けて、アオナギやその子孫にまた会えると自分を納得させ、アオナギとの別れの寂しさを振り払おうと思ったから。
ウ 梛の言葉を聞いて、無事に巣立ったアオナギをいつまでも気にするよりも、森で過ごす今の時間を大切にしたいと思ったから。
エ 梛の言葉から、アオナギの巣立ちを見守った人たちとの別れが近付いているのを実感し、立派な態度で別れようと思ったから。
正解:●●●
《問5》(6)葛城さんが言い終わる前に、ぼくは叫んでいた。とあるが、このときの「ぼく一の気持ちに最も近いのは、次のうちではどれか。
ア 願ってもない誘いに戸惑いつつも山で生活する好機を逃さないように、大声を出して自分自身を勇気付けようという気持ち。
イ 山に誘われたことに対する感謝の思いを、アオナギの巣立ちを一緒に見守った人たちに伝えたいという気持ち。
ウ 葛城の言葉に素早く反応して意思表示することで、山で生活することを祖父に認めさせたいと思う気持ち。
エ 予想もしていなかった葛城からの誘いを受けて、山で生活することへの喜びが湧き上がって抑えきれない気持ち。
正解:●●●
【四】
次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。(*印の付いている言葉には、本文のあとに〔注〕がある。)
「人間は賢い生き物である」。誰もがそう信じているでしょう。他の動物の賢さについて言及する時にも、人間に近いことを賢さの基準としていることが多いように思われます。たとえば、人間のように道具を使える動物や、人間の指示を理解できる動物に対して「賢い」「頭がいい」と言っていないでしょうか。では、わたしたちは何を根拠に人間は賢いと個じているのでしょうか。(第一段)
人間の賢さを主張する際によく挙げられる例は、道具使用や道具作りなどの技術です。人間以外の動物も道具を使います。有名な例として、チンパンジーが石のハンマーを使ってナッツを割ることはよく知られています。さらに、カラスは必要に応じて、素材を加工して道具を作る能力を持つことも知られています。しかし、コンピュータや宇宙船を作り出して、大気圏外まで飛んでいく動物は人間以外には現れそうにありません。(第二段)
では、コンピュータを持っていることは人間の賢さの証明になるでしょうか。パソコンやスマートフォン、そしてAIの技術も、ずいぶんと我々の生活に身近なものになってきました。これらは非常に高度な技術と言えるでしょう。しかし、わたしたちは必ずしもその仕組みを理解して、高度な技術を利用しているわけではありません。むしろ、ほとんど理解しないままに使っている技術の方が多いのではないでしょうか。人間の賢さの象徴として取り上げられる高度な技術は、数千年、数万年の時を経て、積み重ねられた叡智の結晶であり、個人の能力をはるかに超えたものなのです。チンパンジーはスマートフォンを作ることができませんが、筆者もスマートフォンを作ることはできません。先人の恩恵を受けているだけです。(1)石のハンマーを持っているチンパンジーとスマートフォンを持っている人間を見比べて、人間の方が賢いというのはフェアな比較ではないように思われます。(第三段)
先人たちが築き上げてきた高度な技術抜きでも、人間は他の動物よりも賢いのでしょうか。*ヘルマンらは、ヒトの子ども、チンパンジー、オランウータンを対象に、いくつかの認知能力を比較する実験を実施しました。ご褒美がどのカップの下に隠されたかを覚えているか(記憶)、音や見た目のヒントからご褒美が隠されたカップを選べるか(因果関係の理解)、ご褒美がたくさん隠されたカップを選べるか(数量概念の理解)、棒を使ってご褒美を引き寄せることができるか(道具使用)、初見では難しそうな方法でも実験者のやり方をまねしてご褒美を手に入れられるか(模倣)、など様々なテストが実施されました。人間が特別賢い動物ならば、どのテストでもチンパンジーやオランウータンよりも優れた結果を示しそうです。しかし、結果を見てみると、ほとんどのテストにおいて、ヒトの子ども、チンパンジー、オランウータンの成績に大きな違いは見られませんでした。ただし、一部のテストだけには違いが見られました。ヒトの子どもは他者を模倣する能力に関しては、他の二種よりも格段に高い成績を示したのです。(第四段)
生まれ持った能力だけを見る限り、人間が特別賢いとは言えないかもしれません。しかし、観察などを通して他者から学習する能力には秀でているようです。一人で試行錯誤するのではなく、他者から学習することは、社会的学習と呼ばれています。「なんだ、ただ他人のまねをする能力か」と侮ってはいけません。(2)社会的学習によって他者から学ぶことこそが、現代に見られる高度な技術を支える鍵なのです。(第五段)
先程も述べたように、現代社会に見られる多くの技術は、何もないところから急に生まれたわけではなく、長い年月をかけて徐々に発展を積み重ねてきたものです。たとえば、コンピュータ(計算機)もはじめから現在のような機械だったわけではありません。紀元前には、棒に珠を通して木枠をはめたものー日本人には馴染みのあるそろばんのような計算器具ーが使われていたようです。その後、複雑な計算をもっと簡単に行える計算尺や機械式の手回し計算機など様々な形態を経て、少しずつ発展を遂げてきました。世代を超えて伝達されていく過程で、時々生じる改良を少しずつ積み重ね、やがて単独個人では到達できないほど高度で複雑な文化が生じる現象は、累積的文化進化と呼ばれています。ここでの「文化」とは、模倣や教育などによって社会的に伝達される情報全般を指します。社会的に伝達される情報であれば、信条、傾向、規範、*嗜好などもすべて文化と言えます。(第六段)
文化を累積的に進化させるためには、文化を改良することと、改良された文化を社会的学習によって次世代に伝達することの二つのステップを繰り返すことが必要になります。ある世代で大きな技術革新が達成されても、それを次世代に忠実に伝達することができなければ、世代を超えた技術の発展は不可能でしょう。過去に発明されたことを知らないままに、何度も同じ技術を一から作り直してしまうかもしれません。これを防ぐためには、高度な技術の細部まで忠実に伝達する必要があります。(第七段)
*ワシレフスキーは、忠実度の異なる様々な社会的学習が累積的文化進化に与える効果を調べる実験を行いました。この実験の参加者は、木製のスタンド、粘士、紐を使って、できるだけ重いものを運べる容器を作るという課題に取り組みました。実験では、一人目の参加者は自力で試行錯誤しながら容器を作りましたが、二人目以降の参加者は、前の参加者から社会的学習によって情報を得たうえで課題に取り組むことができました。この実験では、社会的学習で得られる情報が異なる三つの条件と、社会的学習を行わない条件が設けられました。完成品観察条件の二人目の参加者は、前の参加者が作った容器を観察したうえで課題に取り組むことができました。そうやって二人目の参加者が作った容器は、今度は三人目の参加者によって観察されました。観察と製作の繰り返しは最長で十人目まで行われました。この実験デザインによって、師匠の技術を観察学習してから、自分でも技術を研鑽し、その技術がまた次世代に伝わるという*一子相伝の技術継承が再現されていたわけです。完成品観察条件以外にも、社会的学習が可能な条件が実験されました。行動観察条件の参加者は、前世代の参加者の完成品を見られない代わりに、容器を作っている途中の行動を観察することができました。さらに、行動&完成品観察条件の参加者は、前世代の参加者の製作途中の行動と完成品の両方を観察することができました。比較のために、社会的学習はなしで、十人の参加者がそれぞれ一人で容器を作る統制条件も設けられました。(第八段)
それでは、実験の結果を紹介していきましょう。より大きな重量に耐えうる容器を作れたほど、課題の成績が高いと見なされました。まず統制条件では、参加者間の成績に、はっきりとした違いは見られませんでした。みんなバラバラに作業をしていたので、これは当然の結果です。完成品観察条件でも、はっきりとした差は見られませんでした。しかし、行動観察条件と行動&完成品観察条件では違う結果が得られました。参加者の世代交代が進むほどに、成績が徐々に改善されていったのです。つまり、容器を作る技術の累積的文化進化が示されたのです。完成品だけを観察した参加者は、目指すべき形状がわかったとしても、前世代の製作技術まではわからなかったため、さらなる改良が難しかったのでしょう。それに対して、作業工程まで観察することができた行動観察条件と行動&完成品観察条件では、前世代の製作技術を忠実にまねることができたため、さらに改良を加えやすかったと考えられます。(第九段)
(3)実験条件を異なる社会として考えてみると、技術の細部まで伝達する社会とそうでない社会では、前者だけが長い年月を経て非常に優れた技術まで到達できることが示唆されたのです。忠実な伝達を行うことで累積的文化進化が促進されるということは、他にもいくつかの研究から支持されています。(第十段)
(中田星矢「文化のバトンを受け継ぐコミュニケーション」(一部改変)による)
〔注)
ヘルマン……ドイツの霊長類学者。
嗜好……人それぞれの、飲み物や食べ物等の好み。
ワシレフスキー……アメリカの進化人類学者。
一子相伝……学術・技芸などを一人だけに伝えて他に漏らさないこと。
《問1》(1)石のハンマーを持っているチンパンジーとスマートフォンを持っている人間を見比べて、人間の方が賢いというのはフェアな比較ではないように思われます。とあるが、筆者がこのように述べたのはなぜか。次のうちから最も適切なものを選べ。
ア チンパンジーと人間の賢さは、道具の使い方ではなく高度な仕組みを理解できるかどうかで比較するべきであると考えているから。
イ 石のハンマーとスマートフォンだけで賢さを判断するのは不十分であり、他の道具も加えて比較するべきであると考えているから。
ウ チンパンジーと人間の賢さは、持っている道具を基準に判断するのではなく個々の能力で比較するべきであると考えているから。
エ チンパンジーも筆者もスマートフォンの作り方がわからないため、作り方がわかる道具で賢さを比較するべきであると考えているから。
正解:●●●
《問2》(2)社会的学習によって他者から学ぶことこそが、現代に見られる高度な技術を支える鍵なのです。とはどういうことか。次のうちから最も適切なものを選べ。
ア 因果関係や数量概念を理解する能力が、高度な技術を継承したり伝達したりするために必要不可欠だということ。
イ 他者が製作した道具を使いこなす能力が、同じ道具を一から忠実に作り直すために必要不可欠だということ。
ウ 道具の使い方を他者に伝達する能力が、さらに便利な道具を開発し続けるために必要不可欠だということ。
エ 他者の行動や様子を捉えて模倣する能力が、世代を超えて技術を発展させていくために必要不可欠だということ。
正解:●●●
《問3》この文章の構成における第七段の役割を説明したものとして最も適切なのは、次のうちではどれか。
ア それまでに述べた内容を整理した上で、さらに説明を付け加え、この後に紹介する具体例へと論をつなげている。
イ それまでに述べた内容に関して、根拠となる事例を付け加え、この後に述べる主張の前提を明らかにしている。
ウ それまでに述べた内容に対して、対照的な意見を付け加え、この後に続く話題への転換を図っている。
エ それまでに述べた内容をまとめた上で、筆者の体験を付け加え、この後に引き継がれる自説の妥当性を強調している。
正解:●●●
《問4》(3)実験条件を異なる社会として考えてみると、技術の細部まで伝達する社会とそうでない社会では、前者だけが長い年月を経て非常に優れた技術まで到達できることが示唆されたのです。 とあるが、「前者だけが長い年月を経て非常に優れた技術まで到達できることが示唆された」と筆者が述べたのはなぜか。次のうちから最も適切なものを選べ。
ア 作業工程と完成品の両方を観察できた参加者だけが技術を応用することができ、技術革新を達成すると示されたから。 イ 作業工程を観察できた参加者だけが前世代の製作技術を学ぶことができ、技術の改良と継承が続くと示されたから。 ウ 自力で試行錯誤した参加者だけが技術を磨き続けることができ、自分自身の力で高い技術を得られると示されたから。 エ 前世代の完成品を観察した参加者だけが同様の技術を再現することができ、技術の継承が行われると示されたから。
正解:●●●
《問5》国語の授業でこの文章を読んだ後、「文化を受け継ぎ発展させること」というテーマで自分の意見を発表することになった。このときにあなたが話す言葉を具体的な体験や見聞も含めて百字以内で書け。なお、書き出しや改行の際の空欄、「、」や「。」や「「」などもそれぞれ字数に数えよ。
【五】
次のAは、和歌に関する対談の一部である。Bは、対談中で話題にしている藤原俊成が書いた「六百番歌合」の解説文であり、次の文章は引用された「六百番歌合」の原文である。また、さらに次の文章は原文の現代語訳である。これらの文章を読んで、あとの各問に答えよ。(*印の付いている言葉には、本文のあとに〔注〕がある。)
A
川合:*『松浦宮』は定家のお遊びですかね、おれはこんなこともできるぞ、という。
池田:歌をやるためには、歌よみはまず、『古今集」をなによりの規範として勉強するわけです。それから定家の父親の俊成は、歌よみは「源氏物語』を読めとさかんに言っている。『源氏物語』はもちろん物語ですが、歌が約八百首もある。どういうときにどういう歌を詠めば評価されるか、またいかなる行事のときにどのような型にはまった歌を詠むべきかとかということは、歌の集を読んでいたのではわからアないわけです。歌を詠む前後の人びとの心の動きとか状況を勉強するには『源氏物語』は格好の教材なんです。
河合:なるほど。
池田:俊成は『源氏物語』を読まイない歌よみは遺恨だという。➖➖遺恨といっても恨みを残すという意味ではなくて遺憾という意味ですね。だから定家は若いころから当然『源氏』や『古今集』を読んでいた。しかし『古今集』の前に当然『万葉集』があるわけですから、『万葉集』をよく読み解かウないと、古い時代の歌ごころはわからない。俊成も「古来風体のなかで『万葉集』の歌から講義を始めています。*萩谷朴さんがさかんにいわれていることですが、『松浦宮物語』を書くことによって定家は万葉風の古い時代の物語をイメージしたのではないか、そうすると当然、万葉調の歌を詠まざるをえないわけで、万葉調に詠んでいったらこういう歌になりますよと、そういうテクニックを『松浦宮』を書くことで習熟しようとしたのではないかと、つまり万葉稽古だと萩谷さんはおっしゃる。これはとてもおもしろい見方だとは思います。
河合:歌の場合は独立して歌としてある場合と、日常会話というか、その場面に応じて詠まれる歌がありますから、『源氏』を読むとどういう場面でどういう歌を詠むべきかということがよくわかるわけですね。
池田:しかも非常に細かくわかるんです。詠む人の立場、身分、それに歌を詠むシチュエーションなどが『源氏』ほどはっきりわかる参考書はエない。歌が八百首近くあるわけで、八百首の歌集というのは金葉集や詞花集より多くて、かなりのものなんですね。
河合:それはそうですね。
池田:ですから『源氏』を長い説明のついた歌の集として読めば、歌よみの教材として抜群です。
河合:紫式部はもちろんそれを意識して歌をつくっているわけですね。だから笑われるような歌もわざと詠んでいる。そしてほんとうの歌として通用する歌もつくっているわけですね。
池田:そういうことです。
(1)河合:『古今集」を編集するときはどうしたんでしょうか、ともかくいい歌を選んだのでしょうか。
池田:『古今集」にしても勅撰集の場合には、まず選者が選ばれて、選者が歌を持ち寄って、いい歌、悪い歌をふるい分けていく。それから部立といって、どういうジャンルの歌をどれくらい載せるか、構成なんかも考えていくのですが、定家の時代の勅撰集はなかなか一回で成立しなくて、『新古今』などは切り継ぎ、つまり再編集の連続だといわれるくらいです。とくに後鳥羽院という人はご自身が歌よみとしてすぐれているし、口うるさいし、武芸もできるし、すべてできすぎるくらいの人だったんですね。ですから撰者を任命してもいろいろ気にいらないので、あれを入れる、これは入れるなと何回もやりかえたようです。だから隠岐へ流されても隠岐でもやっていたようなのです。勅撰集といえば、なにしろ天皇や上皇の名において編集するわけですから、そこに自分の歌が一首でも入るとそれは極めて名誉なことで、何首も入ったり、いわんや選者に任命されるというのはたいへんな名誉です。定家は「新古今」の撰者の一人ですが、『新古今』の次の『新勅撰集」の場合は撰者は定家ひとりですから、これはたいへんなことです。
河合:『松浦宮』に出てくる歌で、やはり定家らしいという歌もありますか。
池田:定家らしい歌はあまりありませんが、後半にすこしあります。前半の歌はかなり万葉風につくろうとしていますからね。(2)むしろ意識的に定家らしくなくつくっているように見えますね。
河合:それはまたおもしろいですね。だから物語を書くことによって自分も楽しんだのでしょうね。
(河合隼雄、池田利夫「松浦宮物語と藤原定家」による)
B
さて、俊成は「源氏物語』について、きわめて印象的な言葉を残していた。それは「六百番歌合』にある以下の言葉である。
冬上十三番 枯野 左勝 女房(*藤原良経)
見し秋を何に残さん草の原ひとつに変る野辺のけしきに
右 隆信
箱枯の野辺のあはれを見ぬ人や秋の色には心とめけむ
右方申云、「草の原」聞きよからず。左方申云、右歌古めかし。判云、左、「何に残さん草の原」といへる、艶にこそ侍めれ。右方人、「草の原」難申之条尤うたたある事にや。紫式部、歌詠みの程よりも物書く筆は殊勝也。其ノ上、花の宴の巻は、殊に艶なる物也。源氏見ざる歌詠みは遺恨の事也。右、心詞、悪しくは見えざるにや。但、常の体なるべし。左ノ歌、勝と申べし。
「判云」以下が俊成の言葉(判詞)である。この二つの歌は、「枯野」という題で詠まれている。どちらがよいかを判定するのが判者たる俊成の仕事となる。結論は、女房(歌合では高貴な主催者の場合身分を隠して「女房」と記されることが多い)とされる藤原良経の「見し秋を」歌の勝ちとなった。通常、院・天皇をはじめとする高貴な人(この場合は「女房」と記される良経)は歌合では勝つことになっているから、この結果にそれほどの驚きはないが、問題は勝った理由である。俊成は判詞で藤原良経泳の「草の原」にひどく反応しているのだ。
まず、「左の歌(藤原良経詠)は、「何に残さん草の原」と言っている、これは艶(優美)でございます」と讃めている。そして、判詞の前に「草の原聞きよからず」(「草の原」は聞きにくい、あまり聞いたことがない)とした「右方」の難陳(双方の方人がそれぞれ相手の歌を批判したり評価したりすること)に対して、「「右方」の人が「草の原」を(3)非難するのは間違っている。紫式部は歌人以上に物語を書く能力が優れている。加えて、『源氏物語』「花宴」の巻はとくに優美なものである。ああ、「源氏物語』を読まない歌人は遺(遺憾・残念、もっと言えば駄目だくらいの意味)のことだ」と嘆くのである。
はじめてこれを読んだ人は、どうしてここで唐突に「源氏物語』が出てきたのか、不思議に思ったに違いない。種明かしをすれば、『源氏物語』「花宴」巻にこのような歌があるのだ。
女
*(朧月夜<おぼろづきよ>)
*うき身世にやがて消えなば尋ねても草の原をば問はじとや思ふ
(前田雅之「なぜ古典を勉強するのか」による)
冬上十三番 枯野 左の勝ち 女房(藤原良経)(の歌)
秋の間に見た美しい景色を何に残したらよいだろうか。秋の間多くの花が咲いた草の原も枯れて見渡す限り同じ景色に変わってしまっている。
右 隆官(の歌)
霜枯れの野辺の荒れ果てた様子に目を留めない人が秋の寂しい景色には心をとめたのであろうか。
右の歌の作者(隆言)は、(良経の歌の)「草の原」は歌に使う言葉として聞きなれない(のでよくない)と申します。左の歌の作者(良経)は右の歌は古めかしい(のでよくない)と申します。判定役(俊成)としていうと、左の歌の「何に残さん草の原」というのが優艶でございます。右の歌の作者が「草の原」を非難したのは非常に不満です。紫式部は歌を詠むより物語を書く力が格段に優れています。その上、(源氏物語の)花の宴の巻は、特に優美な話です。源氏物語を見ていない歌詠みはとても残念です。右の歌の内容と言葉は悪くありません。とはいうものの、ありふれた平凡な歌です。左の歌の方が素晴らしく、勝ちというべきです。
〔注〕
松浦宮 …… 平安時代末期から鎌倉時代の歌人である藤原定家による物語『松浦宮物語』のこと。
萩谷朴 …… 国文学者。
藤原良経 …… 平安時代中期の歌人。
朧月夜 …… 『源氏物語』の登場人物。女性。
うき身世にやがて消えなば尋ねても草の原をば問はじとや思ふ
…… つらい身の私が、このまま消えてしまったら、名を知らないからといって、あなたは草の原を分けてでも私を尋ねようとはなさらないでしょうか。
《問1》Aの中のア~エの「ない」のうち、他と意味・用法の異なるものを一つ選び、記号で答えよ。
正解:●●●
《問2》(1)河合さんの発言のこの対談における役割を説明したものとして最も適切なものは、次のうちではどれか。
ア 池田さんの『源氏」における歌の説明に疑問をもち『古今集』での歌の選び方を尋ねることで、話題を整理している。
イ 『源氏』の歌の作り方について池田さんと共通理解を得られたことで、対談の内容を深めるために話題を「古今集」に転換している。
ウ 歌を詠む上での『源氏』と『古今集』の重要性について池田さんと共通理解を得たことで、自説を述べるきっかけを作っている。
エ 池田さんの「源氏」の説明に疑問をもち『古今集」との共通点について質問することで、次の発言を促している。
正解:●●●
《問3》(3)むしろ意識的に定家らしくなくうくっているように見えますね。とあるが、ここでいう「意識的に定家らしくなくつくっている」を説明したものとして最も適切なのは、次のうちではどれか。
ア 定家は『万葉集』の時代を想像して書いた『松浦宮』の作中において、自身の作風とは異なる万葉風の歌も詠んだということ。
イ 定家は『万葉集』を批判するために書いた『松浦宮』の作中において、万葉風とは違う作風の歌を詠んだということ。
ウ 定家は「万葉集」のよさに改めて気付き、『松浦宮』の作中で徐々に万葉風の歌を増やしていったということ。
エ 定家は「万葉集」の歌ごころが想像できるようになったからこそ、『松浦宮』の作中で万葉風とは異なる歌のみを詠んだということ。
正解:●●●
《問4》(4)非難するのはとあるが、Bの原文において「非難するのは」に相当する部分はどこか。次のうちから最も適切なものを選べ。
ア 聞きよからず
イ 艶にこそ
ウ 難由之条
エ 悪しくは見えざるにや
正解:●●●
《問5》A及びBでは共通して『源氏物語』を歌人の必読の物語だとする俊成の考えが示されているが、A及びBのそれぞれで述べられた、歌人にとっての「源氏物語』の価値を説明したものとして最も適切なのは、次のうちではどれか。
ア Aでは「古今集』を読み解くのに適している作品だと述べられており、Bでは歌合の判定の根拠になるほど優美な歌が含まれる作品だと述べられている。
イ Aでは歌が詠まれる状況や心の動きを理解できる作品だと述べられており、Bでは歌を含む物語によって優美な世界を表現できる人物が書いた作品だと述べられている。
ウ Aでは作中の歌を通じて『万葉集」の時代の人の心を理解できる作品だと述べられており、Bでは優美な歌合の様子が現代の私たちにもわかる作品だと述べられている。
エ Aでは歌の技法を理解するのに適している作品だと述べられており、Bでは歌集としての評価以上に優美な物語として高く評価されている作品だと述べられている。
正解:●●●
東京都教育委員会のホームページより、最新の情報が得られます。必要に応じて、見るようにしましょう!